山頭火を知る

国学生俳句連盟松山大会で
一行は子規堂とは別に一草庵を訪ねた。
山頭火が晩年を過ごした庵で
山頭火の面倒を見届けた大山澄太氏が健在であった。
澄太氏の口から山頭火の松山での生活そして
その最後の話を聞いた。
ワタシはとてもとても感動し、
以後、自由律を目指すようになる。


写真は2012年の一草庵
昭和40年(1965年)頃はとても草深く
まさに庵と呼ぶにふさわしかった。



山頭火のどの部分が響いたのだろう?
思うに宗教的というか禅の空気に
共感したのだと考える。
中学生の時代、ワタシの学校は
空いた時間、例えば、朝登校してから授業まで、
授業と授業の合間・・・など
禅を組むわけではないが
じっと黙想、瞑想をするように訓練された。
はじめは強制的だったが
3年生になると、それを自主的に行い
次第に禅に興味を持ち始めていた。

山頭火の句に、そういう禅の気配を感じ
傾倒していったのである。
同時に「あらるげ」では異端の存在に
次第になってしまっていったのである。

全国学生俳句大会

「あらるげ」での俳句修行もそこそこに
7月、夏休みが始まると
愛媛・松山へ行くことになった。
坪内氏曰く「全国学生俳句大会がある。みんなで参加しよう!」
あまり意味も理解せず、松山へ出かけた。
松山に集まったのは愛媛大、東洋大、都留文科大
そして「あらるげ」所属の立命大、同志社女子大、就実短大・・。
とにもかくにも、全国から数十人の大学生が集まって
大句会が開催されたのだ。

その時の最優秀作品は「泰山木下・・・・」。
「あらるげ」の仲啓樹の作品であった。

写真には「全国学生俳句連盟第2回松山大会」とあり
日付は昭和40年7月11日となっている。
(第1回大会はたぶん、都留文科大で開催されたと
想像する。)
大会後、子規庵など松山観光をしたらしい。
その写真がこれ。

夾竹桃の花が咲き乱れていたという記憶がある。

大会を終えた日、愛媛大学の誰かのアパートに
大勢で出かけ、議論と酒で夜を徹しようとしたが
どなたかが(沢好摩氏?)階段から落ちて
ケガをしたような気がする。

なにかと波乱の大会であったのだ。

京都学生俳句会「あらるげ」

坪内稔典、仲啓樹、矢野豊、佐々木梅治そしてぼく。
学生寮での句会の初期メンバーである。
その句会が「京都学生俳句会 あらるげ」。

坪内稔典の友人の渡辺さんを中心に
2,3名の同志社女子大生も加わって
京都御所の芝生の上で
句会を開くこともあった。

句会を終えると、寮の近くの
甘味処「あおい庵」に足を運ぶこともあった。

この頃、酒を囲んでの句会というものは
ほとんどなかったように思う。
未成年であったし、
そういうことに気が回せるほど
世慣れていなかったのであろう。
ひたすら真面目に、句会が行われた気がする。

俳句と出会う

大学に入って、しばらくしてアルバイトを始めた。
学食の皿洗いのアルバイトである。
16時から19時で時給90円だったと思う。
このアルバイトは講義が終わって入ればいいし、
何より食券というのを割引で買えて
時給以上にメリットがあった。
さらに、働いた時間に10円程の賞与が寝ん2回支給された。
毎日、学校にくることになるし
とても学生には最適だった。
この職場で坪内稔典と出会った。
一緒に俳句をやろうよ、と誘われ
アルバイトの帰りに彼の住む寮を訪ねた。
同期の2人と、これも初対面なのだが
早速、4人で句会なるものが始まった。
 びしょんびしょん句会に誘ってくれてありがとう
その時、つくった俳句である。
その日は梅雨の真ん中で、雨が降っていたのだと思う。

馬場善樹と出会う

大学に入って間もない頃、
市電に乗ると馬場君がいた。
馬場君と呼ぶけれど
そのときは、名前を知っているだけ。
語学がたまたま同じフランス語クラスで、
五十音順にならぶから少し席も近かった。
この市電で出会ったときは、たぶん、
クラスでの出会いも含め三回目くらい。
「同じクラスだよね、この電車の方向に住んでるの?」
親しくなって、馬場君から言われたのだけれど
こんなふうに、ボクから声をかけたらしい。
ボクは烏丸今出川の一つ手前、下総町に下宿をしていた。
馬場君はそのひとつ手前で電車を降りた。
同志社大学の次の駅だと思う。
こんな出会いが馬場君との出会いだったのだ。

あらるげ13号

あらるげ13号は黒い用紙に白のイラスト入り表紙と
挟み込みのピンクの用紙の目次。
いままでと装丁が見た目、変わっている。
「マチネ集」という遠隔地にいる読者の
投稿ページが新設され、福島、福岡、鹿児島からの
投句が掲載されている。

見崎厚志の「雑感」を読む。
あらるげ11号、12号の作品をそれなりに
一望している。

まず近藤さんの11号の台湾旅行作品を採り上げている。
 雪に照らす楽しみ この顔とパスポートの顔
 父母へ贈ろう 空からシャッタ押す 海色
12号から
 夕路地行く 凍るグレーに合う顔して
 今日はうれしく シンフォニーに舞う音符
さらに
 新聞紙に雪の音して 雪女消え
こんな句に見崎は好感を持っている。

 すい込んだ息 胸の中で朝が冷たい 
 路地づたい 灯の下だけ降る 粉雪
これは高村さん。

 雪溶けの村 南天色こっそり散ちらばせ
 清楚に別れる 皆幸せな言葉 持ち
 まどろむ雪野 機関車は魔女忍ばせ
前田さんの12号の作品に、短期間に成長したろ評する。

女性だけでなく
 シクシク 雪道 すぐ消される足跡残し 矢野
 暮色 誰に?切手ペロリと貼り  仲
12号の作品を紹介。

いずれにしても、初期のあらるげに比べ
格段に質は向上していることがわかる。
その牽引車が女性たちであることも。

この号には
国学生俳句連盟京都大会開催について
準備が整っていないことが叱責、反省されている。
そう、この年の夏、全国大会はこの「あらるげ」が
幹事なのである。