blog再開。

5年も眠っていたblog。 再開したい。 さて、テーマは何にしようか?

山頭火を知る

全国学生俳句連盟松山大会で 一行は子規堂とは別に一草庵を訪ねた。 山頭火が晩年を過ごした庵で 山頭火の面倒を見届けた大山澄太氏が健在であった。 澄太氏の口から山頭火の松山での生活そして その最後の話を聞いた。 ワタシはとてもとても感動し、 以後、…

全国学生俳句大会

「あらるげ」での俳句修行もそこそこに 7月、夏休みが始まると 愛媛・松山へ行くことになった。 坪内氏曰く「全国学生俳句大会がある。みんなで参加しよう!」 あまり意味も理解せず、松山へ出かけた。 松山に集まったのは愛媛大、東洋大、都留文科大 そして…

京都学生俳句会「あらるげ」

坪内稔典、仲啓樹、矢野豊、佐々木梅治そしてぼく。 学生寮での句会の初期メンバーである。 その句会が「京都学生俳句会 あらるげ」。坪内稔典の友人の渡辺さんを中心に 2,3名の同志社女子大生も加わって 京都御所の芝生の上で 句会を開くこともあった。句会…

俳句と出会う

大学に入って、しばらくしてアルバイトを始めた。 学食の皿洗いのアルバイトである。 16時から19時で時給90円だったと思う。 このアルバイトは講義が終わって入ればいいし、 何より食券というのを割引で買えて 時給以上にメリットがあった。 さらに、働いた…

馬場善樹と出会う

大学に入って間もない頃、 市電に乗ると馬場君がいた。 馬場君と呼ぶけれど そのときは、名前を知っているだけ。 語学がたまたま同じフランス語クラスで、 五十音順にならぶから少し席も近かった。 この市電で出会ったときは、たぶん、 クラスでの出会いも含…

あらるげ13号

あらるげ13号は黒い用紙に白のイラスト入り表紙と 挟み込みのピンクの用紙の目次。 いままでと装丁が見た目、変わっている。 「マチネ集」という遠隔地にいる読者の 投稿ページが新設され、福島、福岡、鹿児島からの 投句が掲載されている。見崎厚志の「雑感…

あらるげ10号

あらるげ10号は昭和42年1月の発行。 「新年増刊号」と銘うってあるが、 表紙をいれて16ページといささか薄い。 作品は坪内ひとり。 冬野の村 夕焼けは薄い日記帳 坪内はじめ8名が「俳句と私」的なエッセイというか 雑文を寄せている。柴田勝俊が昨年…

あらるげ9号②

あらるげ9号には14名が作品を寄せている。 突風 粉雪 やわらかいパン胸に抱く 坪内稔典 木枯らしの夜 のぞいた 母の日記の空白がち 街灯の光の輪から雪が降る また明日 馬場善樹 炭火にかざす どこかで残り水冷えていき 前田美保子 冬の海は乱反射 漁師が…

あらるげ9号①

あらるげ9号は昭和41年12月22日発行。 8号が12月3日に出て、大至急の発行である。 ほぼ全編、馬場善樹のガリ版切りである。余談だが、馬場やボクは この頃から、学生自治会での活動に少しずつ 入り込んでいて、学内の情報ビラのガリ切りや 早朝のビラ配布も…

あらるげ5号から休刊の頃

昭和40年12月末に「あらるげ5号」が発刊され それから約半年、休刊ということになっている。 その間、「風の青年」という冊子が発刊されたらしいが ボクの周辺には現存しない。 とにかく記憶を辿りたいのだが 手がかりがない。41年の冬、「あらるげ」隊は福…

あらるげ6号

「あらるげ」6号は昭和41年6月19日発行。 まず、冒頭に宣言がある。 「俳句は 僕らの詩 日々を真剣に生きる若者のうた 美しい未来のために 美しく 強い 魂のうたを」 巻頭に栗原順(坪内稔典の別名)の提言 ①民衆詩の伝統 ②緊張詩としての俳句 ③口語俳…

あらるげ8号

昭和41年12月3日発行の「あらるげ」8号には 熱気がこもっている。 第1回京都学生俳句大会が11月23日帰白院で開催された レポートがある。 伊丹公子「学生作家への提言」 立命館大教授国崎望久太郎「短詩型文学の青春性」 という二つの講演。 さらに大…

あらるげ2号

「あらるげ」のうち現存する最も古い2号を読んでみたい。 発行は昭和40年6月。ガリ版刷りの16P。 「青玄京都学生サークル」という副題がついている。 寄稿者は坪内稔典、佐々木梅治、仲島義嗣、矢野豊の四名。 坪内の作品が巻頭句。 軍靴うずめて 白詰…

あらるげ7号

坪内稔典著「俳句の向こうに昭和が見える」(教育評論社)の 昭和40年代の項に「あらるげ」7号が登場する。 「あらるげ」誕生から1年半が経過し、 その間の出来事を主要メンバーであった坪内、仲、矢野の 3人が鼎談というカタチで話をしている。ちなみ…

馬場善樹と「あらるげ」②

馬場善樹はかなりファッションセンスのいい ヤングマンであった。 アイビーカットのヘアとアイビールック。 前髪をひさしのようにセットし、 パンツ(ズボン)の裾は踝。 バッグを小脇に抱え、大学に通っていた。 ボクも含め、多くの学生たちがビートルズを真…

馬場善樹と「あらるげ」①

馬場とボクの下手なフォークデュオに ファンがついた。 流行っていたフォーククルセダーズや ジローズを真似たフォークソング。 いまでいうライブハウスの前座で たまに歌うことがあって 女の子たち何人かがファンと名乗って 寄ってきたのだ。 その中にファ…

馬場善樹のこと⑧

馬場はボクのハチャメチャな生活を 黙って眺めていたり ときどき、ボクを真似したりしていた。ある夜、栗売りをしながらたむろしていたら いつも集金にくる兄貴分みたいな男と 少し大人の男がやってきた。兄貴分がボク言った。 「この兄さんをちょっとの間 …

馬場善樹のこと➆

ボクと馬場はアルバイト代が入ると 木屋町に出るようになった。 千円でボトル1本。 サントリーレッドだけれど 木屋町のスナックで、顔見知りもできたりした。ある夜、木屋町を歩いていると ボクの名前を呼ぶ声が聞こえた。 クルマ通りからの女の声で 「助け…

馬場善樹のこと➅

学生の休日、あるいは空いた時間の過ごし方。日曜日はほとんどを映画館で過ごした。 2番館、3番館のはしごをするわけだ。 当時は殆どの映画館が3本立て上映で、入れ替えなし。 朝10時に映画館に入ると15時過ぎまで観て 次の映画館へ。 21時すぎまで…

馬場善樹のこと➄

馬場善樹とボクは法学部のフランス語選択の クラスで出会った。 50音順に並ぶ席で近くにいたFと よく話をするようになり、 3人が親しくなった。 Fは地元大津膳所高の出身で生意気にというか 当時としては考えられないほど珍しく クルマで大学に通ってきて…

あらるげ物語⑤

ちなみにボクは「あらるげ」4号に初登場しているらしい。 残念ながらその号はない。 「なんだか暗い海に ぼくがいる」という作品が 掲載されているようだ。1号、2号が創立メンバー4名。 3号が全国学生俳句大会直前の発行で 渡辺利江の作品がみえる。4号には…

馬場善樹のこと④

ボクが京都に出てきたのは 大学の入学式の前日であった。 まさか、京都へとは思ってもいなくて 住むところひとつ用意できていなかった。 ただ、小学ー中学ー高校と 同じ学校に通った友人Kが その大学へ入学することになっていて とにかく、彼の下宿にちょっ…

あらるげ物語④

第2回全国学生俳句大会は愛媛松山で開催された。 愛媛大を中心に東洋大、都留文科大に加えて あらるげの面々(立命大、同志社女子大など)。大会の記憶は少ない。 句会をほんの2,3回経験しただけの ボクにはまったく判らない2泊3日であった。「泰山木…

あらるげ物語③ 

昭和41年10月末発行の 「あらるげ」7号が手元に残っている。 「あらるげ」の成り立ちから1年が 坪内、仲島、矢野の鼎談で語られている。 それによると「あらるげ」(京都学生俳句会)が 誕生したのが1965年5月。 メンバーはこの3名に、 後に「民芸」で役者…

あらるげ物語②

六月の雨の降る夜だった。 学食で同じアルバイトをしている 法学部、文学部の同期2人、 文学部の先輩1人から 「句会」に誘われた。 とにかく、3人の住む学生寮へ 連れられ、 文学部の先輩の部屋へ。 6畳ほどの部屋の壁いっぱいに 書籍が並んでいて、先ず…

馬場善樹のこと③

修学院のボクのアパートは 修学院離宮へ行く途中にあった。 クルマも通れない狭い道で アパートの横を小さな小川が流れ その音で目覚めたり、 その音が気になったりしていた。 当然、風呂なしのアパートだから 叡電沿いの風呂屋まで桶を持って歩いた。 修学…

あらるげ物語①

くたくたになった「あらるげ」18号が手元にある。 発行は昭和42年11月。 本文20ページにオレンジの色紙で包み込んだ 手書きのガリ版刷りである。その10ページ目に 坪内稔典の「あすなろの記」(1)がある。 こういう文章から始まる。 「学生句会ももう3年近…

馬場善樹のこと

先週、どうしてもの用件で近鉄山本駅を訪ねた。 この駅、この町、実に45年ぶり? ここに筆者は3年あまり住んでいた。 先輩が事務長として運営していた病院で 学校を中途半端にしていた いまでいうニートの筆者を アルバイト的に雇ってくれたのだ。 雑用係と…

馬場善樹のこと①

大学入学したての6月、 市電の中で馬場善樹と初めて会話をした。 「同じクラスだよね。 こっち方面に住んでいるんだ。何処?」 ボクは烏丸通り上総町の下宿屋で暮らしていて、 彼はそのひとつ手前の停留所の近くに 住んでいるようだった。 以後、しばらく彼…