山頭火を知る

国学生俳句連盟松山大会で
一行は子規堂とは別に一草庵を訪ねた。
山頭火が晩年を過ごした庵で
山頭火の面倒を見届けた大山澄太氏が健在であった。
澄太氏の口から山頭火の松山での生活そして
その最後の話を聞いた。
ワタシはとてもとても感動し、
以後、自由律を目指すようになる。


写真は2012年の一草庵
昭和40年(1965年)頃はとても草深く
まさに庵と呼ぶにふさわしかった。



山頭火のどの部分が響いたのだろう?
思うに宗教的というか禅の空気に
共感したのだと考える。
中学生の時代、ワタシの学校は
空いた時間、例えば、朝登校してから授業まで、
授業と授業の合間・・・など
禅を組むわけではないが
じっと黙想、瞑想をするように訓練された。
はじめは強制的だったが
3年生になると、それを自主的に行い
次第に禅に興味を持ち始めていた。

山頭火の句に、そういう禅の気配を感じ
傾倒していったのである。
同時に「あらるげ」では異端の存在に
次第になってしまっていったのである。