2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧
「あらるげ」6号は昭和41年6月19日発行。 まず、冒頭に宣言がある。 「俳句は 僕らの詩 日々を真剣に生きる若者のうた 美しい未来のために 美しく 強い 魂のうたを」 巻頭に栗原順(坪内稔典の別名)の提言 ①民衆詩の伝統 ②緊張詩としての俳句 ③口語俳…
昭和41年12月3日発行の「あらるげ」8号には 熱気がこもっている。 第1回京都学生俳句大会が11月23日帰白院で開催された レポートがある。 伊丹公子「学生作家への提言」 立命館大教授国崎望久太郎「短詩型文学の青春性」 という二つの講演。 さらに大…
「あらるげ」のうち現存する最も古い2号を読んでみたい。 発行は昭和40年6月。ガリ版刷りの16P。 「青玄京都学生サークル」という副題がついている。 寄稿者は坪内稔典、佐々木梅治、仲島義嗣、矢野豊の四名。 坪内の作品が巻頭句。 軍靴うずめて 白詰…
坪内稔典著「俳句の向こうに昭和が見える」(教育評論社)の 昭和40年代の項に「あらるげ」7号が登場する。 「あらるげ」誕生から1年半が経過し、 その間の出来事を主要メンバーであった坪内、仲、矢野の 3人が鼎談というカタチで話をしている。ちなみ…
馬場善樹はかなりファッションセンスのいい ヤングマンであった。 アイビーカットのヘアとアイビールック。 前髪をひさしのようにセットし、 パンツ(ズボン)の裾は踝。 バッグを小脇に抱え、大学に通っていた。 ボクも含め、多くの学生たちがビートルズを真…
馬場とボクの下手なフォークデュオに ファンがついた。 流行っていたフォーククルセダーズや ジローズを真似たフォークソング。 いまでいうライブハウスの前座で たまに歌うことがあって 女の子たち何人かがファンと名乗って 寄ってきたのだ。 その中にファ…
馬場はボクのハチャメチャな生活を 黙って眺めていたり ときどき、ボクを真似したりしていた。ある夜、栗売りをしながらたむろしていたら いつも集金にくる兄貴分みたいな男と 少し大人の男がやってきた。兄貴分がボク言った。 「この兄さんをちょっとの間 …
ボクと馬場はアルバイト代が入ると 木屋町に出るようになった。 千円でボトル1本。 サントリーレッドだけれど 木屋町のスナックで、顔見知りもできたりした。ある夜、木屋町を歩いていると ボクの名前を呼ぶ声が聞こえた。 クルマ通りからの女の声で 「助け…
学生の休日、あるいは空いた時間の過ごし方。日曜日はほとんどを映画館で過ごした。 2番館、3番館のはしごをするわけだ。 当時は殆どの映画館が3本立て上映で、入れ替えなし。 朝10時に映画館に入ると15時過ぎまで観て 次の映画館へ。 21時すぎまで…
馬場善樹とボクは法学部のフランス語選択の クラスで出会った。 50音順に並ぶ席で近くにいたFと よく話をするようになり、 3人が親しくなった。 Fは地元大津膳所高の出身で生意気にというか 当時としては考えられないほど珍しく クルマで大学に通ってきて…
ちなみにボクは「あらるげ」4号に初登場しているらしい。 残念ながらその号はない。 「なんだか暗い海に ぼくがいる」という作品が 掲載されているようだ。1号、2号が創立メンバー4名。 3号が全国学生俳句大会直前の発行で 渡辺利江の作品がみえる。4号には…
ボクが京都に出てきたのは 大学の入学式の前日であった。 まさか、京都へとは思ってもいなくて 住むところひとつ用意できていなかった。 ただ、小学ー中学ー高校と 同じ学校に通った友人Kが その大学へ入学することになっていて とにかく、彼の下宿にちょっ…
第2回全国学生俳句大会は愛媛松山で開催された。 愛媛大を中心に東洋大、都留文科大に加えて あらるげの面々(立命大、同志社女子大など)。大会の記憶は少ない。 句会をほんの2,3回経験しただけの ボクにはまったく判らない2泊3日であった。「泰山木…
昭和41年10月末発行の 「あらるげ」7号が手元に残っている。 「あらるげ」の成り立ちから1年が 坪内、仲島、矢野の鼎談で語られている。 それによると「あらるげ」(京都学生俳句会)が 誕生したのが1965年5月。 メンバーはこの3名に、 後に「民芸」で役者…
六月の雨の降る夜だった。 学食で同じアルバイトをしている 法学部、文学部の同期2人、 文学部の先輩1人から 「句会」に誘われた。 とにかく、3人の住む学生寮へ 連れられ、 文学部の先輩の部屋へ。 6畳ほどの部屋の壁いっぱいに 書籍が並んでいて、先ず…
修学院のボクのアパートは 修学院離宮へ行く途中にあった。 クルマも通れない狭い道で アパートの横を小さな小川が流れ その音で目覚めたり、 その音が気になったりしていた。 当然、風呂なしのアパートだから 叡電沿いの風呂屋まで桶を持って歩いた。 修学…
くたくたになった「あらるげ」18号が手元にある。 発行は昭和42年11月。 本文20ページにオレンジの色紙で包み込んだ 手書きのガリ版刷りである。その10ページ目に 坪内稔典の「あすなろの記」(1)がある。 こういう文章から始まる。 「学生句会ももう3年近…