2015-01-01から1年間の記事一覧

あらるげ13号

あらるげ13号は黒い用紙に白のイラスト入り表紙と 挟み込みのピンクの用紙の目次。 いままでと装丁が見た目、変わっている。 「マチネ集」という遠隔地にいる読者の 投稿ページが新設され、福島、福岡、鹿児島からの 投句が掲載されている。見崎厚志の「雑感…

あらるげ10号

あらるげ10号は昭和42年1月の発行。 「新年増刊号」と銘うってあるが、 表紙をいれて16ページといささか薄い。 作品は坪内ひとり。 冬野の村 夕焼けは薄い日記帳 坪内はじめ8名が「俳句と私」的なエッセイというか 雑文を寄せている。柴田勝俊が昨年…

あらるげ9号②

あらるげ9号には14名が作品を寄せている。 突風 粉雪 やわらかいパン胸に抱く 坪内稔典 木枯らしの夜 のぞいた 母の日記の空白がち 街灯の光の輪から雪が降る また明日 馬場善樹 炭火にかざす どこかで残り水冷えていき 前田美保子 冬の海は乱反射 漁師が…

あらるげ9号①

あらるげ9号は昭和41年12月22日発行。 8号が12月3日に出て、大至急の発行である。 ほぼ全編、馬場善樹のガリ版切りである。余談だが、馬場やボクは この頃から、学生自治会での活動に少しずつ 入り込んでいて、学内の情報ビラのガリ切りや 早朝のビラ配布も…

あらるげ5号から休刊の頃

昭和40年12月末に「あらるげ5号」が発刊され それから約半年、休刊ということになっている。 その間、「風の青年」という冊子が発刊されたらしいが ボクの周辺には現存しない。 とにかく記憶を辿りたいのだが 手がかりがない。41年の冬、「あらるげ」隊は福…

あらるげ6号

「あらるげ」6号は昭和41年6月19日発行。 まず、冒頭に宣言がある。 「俳句は 僕らの詩 日々を真剣に生きる若者のうた 美しい未来のために 美しく 強い 魂のうたを」 巻頭に栗原順(坪内稔典の別名)の提言 ①民衆詩の伝統 ②緊張詩としての俳句 ③口語俳…

あらるげ8号

昭和41年12月3日発行の「あらるげ」8号には 熱気がこもっている。 第1回京都学生俳句大会が11月23日帰白院で開催された レポートがある。 伊丹公子「学生作家への提言」 立命館大教授国崎望久太郎「短詩型文学の青春性」 という二つの講演。 さらに大…

あらるげ2号

「あらるげ」のうち現存する最も古い2号を読んでみたい。 発行は昭和40年6月。ガリ版刷りの16P。 「青玄京都学生サークル」という副題がついている。 寄稿者は坪内稔典、佐々木梅治、仲島義嗣、矢野豊の四名。 坪内の作品が巻頭句。 軍靴うずめて 白詰…

あらるげ7号

坪内稔典著「俳句の向こうに昭和が見える」(教育評論社)の 昭和40年代の項に「あらるげ」7号が登場する。 「あらるげ」誕生から1年半が経過し、 その間の出来事を主要メンバーであった坪内、仲、矢野の 3人が鼎談というカタチで話をしている。ちなみ…

馬場善樹と「あらるげ」②

馬場善樹はかなりファッションセンスのいい ヤングマンであった。 アイビーカットのヘアとアイビールック。 前髪をひさしのようにセットし、 パンツ(ズボン)の裾は踝。 バッグを小脇に抱え、大学に通っていた。 ボクも含め、多くの学生たちがビートルズを真…

馬場善樹と「あらるげ」①

馬場とボクの下手なフォークデュオに ファンがついた。 流行っていたフォーククルセダーズや ジローズを真似たフォークソング。 いまでいうライブハウスの前座で たまに歌うことがあって 女の子たち何人かがファンと名乗って 寄ってきたのだ。 その中にファ…

馬場善樹のこと⑧

馬場はボクのハチャメチャな生活を 黙って眺めていたり ときどき、ボクを真似したりしていた。ある夜、栗売りをしながらたむろしていたら いつも集金にくる兄貴分みたいな男と 少し大人の男がやってきた。兄貴分がボク言った。 「この兄さんをちょっとの間 …

馬場善樹のこと➆

ボクと馬場はアルバイト代が入ると 木屋町に出るようになった。 千円でボトル1本。 サントリーレッドだけれど 木屋町のスナックで、顔見知りもできたりした。ある夜、木屋町を歩いていると ボクの名前を呼ぶ声が聞こえた。 クルマ通りからの女の声で 「助け…

馬場善樹のこと➅

学生の休日、あるいは空いた時間の過ごし方。日曜日はほとんどを映画館で過ごした。 2番館、3番館のはしごをするわけだ。 当時は殆どの映画館が3本立て上映で、入れ替えなし。 朝10時に映画館に入ると15時過ぎまで観て 次の映画館へ。 21時すぎまで…

馬場善樹のこと➄

馬場善樹とボクは法学部のフランス語選択の クラスで出会った。 50音順に並ぶ席で近くにいたFと よく話をするようになり、 3人が親しくなった。 Fは地元大津膳所高の出身で生意気にというか 当時としては考えられないほど珍しく クルマで大学に通ってきて…

あらるげ物語⑤

ちなみにボクは「あらるげ」4号に初登場しているらしい。 残念ながらその号はない。 「なんだか暗い海に ぼくがいる」という作品が 掲載されているようだ。1号、2号が創立メンバー4名。 3号が全国学生俳句大会直前の発行で 渡辺利江の作品がみえる。4号には…

馬場善樹のこと④

ボクが京都に出てきたのは 大学の入学式の前日であった。 まさか、京都へとは思ってもいなくて 住むところひとつ用意できていなかった。 ただ、小学ー中学ー高校と 同じ学校に通った友人Kが その大学へ入学することになっていて とにかく、彼の下宿にちょっ…

あらるげ物語④

第2回全国学生俳句大会は愛媛松山で開催された。 愛媛大を中心に東洋大、都留文科大に加えて あらるげの面々(立命大、同志社女子大など)。大会の記憶は少ない。 句会をほんの2,3回経験しただけの ボクにはまったく判らない2泊3日であった。「泰山木…

あらるげ物語③ 

昭和41年10月末発行の 「あらるげ」7号が手元に残っている。 「あらるげ」の成り立ちから1年が 坪内、仲島、矢野の鼎談で語られている。 それによると「あらるげ」(京都学生俳句会)が 誕生したのが1965年5月。 メンバーはこの3名に、 後に「民芸」で役者…

あらるげ物語②

六月の雨の降る夜だった。 学食で同じアルバイトをしている 法学部、文学部の同期2人、 文学部の先輩1人から 「句会」に誘われた。 とにかく、3人の住む学生寮へ 連れられ、 文学部の先輩の部屋へ。 6畳ほどの部屋の壁いっぱいに 書籍が並んでいて、先ず…

馬場善樹のこと③

修学院のボクのアパートは 修学院離宮へ行く途中にあった。 クルマも通れない狭い道で アパートの横を小さな小川が流れ その音で目覚めたり、 その音が気になったりしていた。 当然、風呂なしのアパートだから 叡電沿いの風呂屋まで桶を持って歩いた。 修学…

あらるげ物語①

くたくたになった「あらるげ」18号が手元にある。 発行は昭和42年11月。 本文20ページにオレンジの色紙で包み込んだ 手書きのガリ版刷りである。その10ページ目に 坪内稔典の「あすなろの記」(1)がある。 こういう文章から始まる。 「学生句会ももう3年近…

馬場善樹のこと

先週、どうしてもの用件で近鉄山本駅を訪ねた。 この駅、この町、実に45年ぶり? ここに筆者は3年あまり住んでいた。 先輩が事務長として運営していた病院で 学校を中途半端にしていた いまでいうニートの筆者を アルバイト的に雇ってくれたのだ。 雑用係と…

馬場善樹のこと①

大学入学したての6月、 市電の中で馬場善樹と初めて会話をした。 「同じクラスだよね。 こっち方面に住んでいるんだ。何処?」 ボクは烏丸通り上総町の下宿屋で暮らしていて、 彼はそのひとつ手前の停留所の近くに 住んでいるようだった。 以後、しばらく彼…

坪内稔典の百句 

ひっそりとベラ棲む明るさ父母の島 坪内十代の頃の作品。 とても早熟な少年を思う。 ひっそりとベラの棲むような明るい島、 それが私の両親が住む島。 直訳すればこんなことか。 ベラは釣りをする人なら判るが、 かなり簡単に釣れる普通の魚。 父母はベラの…